UI デザイナーなら抱いて寝るべき1,198gの道具箱
来年新卒入社する UI デザイナーにブックリストをおくるから、おすすめの本はないかと同僚に聞かれたので「 そりゃあもう、オシドリ本一択だろう 」と即答した。
O'Reilly の『 デザイニング・インターフェース 第2版 』Jenifer Tidwell ( 著 )、色鮮やかな水鳥の細密画が目を引く、通称オシドリ本。UI デザイナーならおそらく、手にしたことないという人はいないだろう。
しかし私の返答に、同僚は苦い顔をしたのだ。
「 それはちょっと初学者には重いと思います... 」
重い?何もハーマンを読めとは言ってないじゃないか。オシドリ本だよ?何一つ難解な表現などないこの本が重い?心外だな、と思いつつも手にとってみたら、なるほどずっしり重かった。
うん、これは 1kg はこえている気がする。なんだか無性に気になったので測ってみたら 1,198g あった。
確かに重いな。電車で読んだりするのは困難だろう。携帯するというよりは、枕元に置いて、眠れない夜に読むたぐいの本かもしれない。え、枕元には置かないですか。そうですか。
ちなみに、これまた UI デザイナー必読の本で『 About Face 3 』Alan Cooper ( 著 )は 1,299g、『 エリック・エヴァンスのドメイン駆動設計 』Eric Evans ( 著 )は 933g だった。Alan Cooper の圧勝である。さすが機関車よりも強いエネルギーをもつ男 ( ※ 1 )。
いやいや、そういう意味ではないのは承知している。重い。そうなのか。しかし私は初学者にこそ、まずこの本を手にしてほしいのだ。
すべてここに書いてある
私のキャリアのスタートはインターネットテレビのビデオカメラマンだった。京都のお祭りを撮影して、ネットで配信するという仕事だ。とりあえずお祭りを撮影するなど初めてだったから、私は撮影のたびにそれを事細かに記録していった。
繰り返すうち、なんだかいつもたち現れる、良い感じの撮影スポットみたいなのがあって、それはいくつかの要素が組み合わさってできていることに気がついた。要はそこをおさえれば、それなりに良い感じの画が撮れるのだ。それは神輿における曲がり角だったり、神楽における舞台の対角線だったりした。私はそのパターンを収集してノートにかきとめ、初めての場所や演目の撮影に活用していた。
その後、紆余曲折あって、私はデスクトップアプリケーションの UI デザイナーになった。そしてそこでも、お祭りの撮影にあるような UI のパターンらしきものがあることに気づいた。デジャブ、である。
ラジオボタンとプルダウンメニューとか、同じことをする場合でも異なる表現があったり、得意なこと、不得意なことがあったり。そういったものを収集してまとめたら、きっと UI デザインがやりやすくなるに違いない。そう思った私は、UI のデザインパターンを収集し、分析しはじめた。そして結構な数を集めてから、やっとオシドリ本の存在に気がづいたのだった。
「 なんだ、ここに全部かいてあるじゃないか 」
私はなんと莫迦なのだろう。私の考えつくような事を、偉大な先人が既にやってないはずがなかったのに。そして私はこのパターン集に引き込まれていった。
パターン集
この本にはたくさんの UI のビジュアルがキャプチャされているが、それはたとえば Pinterest で流行りの、魅力的な UI を収集したような、いわゆるデザインカタログでは、全然ない。
もっと抽象化されたユーザーインタフェース、インタラクションデザインのパターン集だ。UI デザイナーは、Webだったり、iOSだったり、Android だったり、多用なユーザーエージェントを扱う必要があるが、この本にあるパターンはそれらを問わず活用することができる。いわば偉大な先人が蓄積した経験が体系化されたレファレンスなのである。
建築家 Christopher Alexander の『 パタン・ランゲージ 』( ※ 2 ) のように、UIデザイナーはこのパターン言語を組み合わせ、ユーザーインタフェースを設計する。そして既存のパターンが適合しない状況においては、自らの手で新しいパターンを作り出していく。
このようなデザインパターンは、デザイナーのクリエイティビティを制限するようによく言われたりするが、大きな間違いである。デザインパターンはデザインの足場であり、道具となるものなのだ。
それだけではない。この本は普遍的なデザイン原則にはじまり、情報設計の本に書いてあるようなナビゲーションのモデルについても丁寧に解説されている。ゲシュタルト要因、レイアウト、タイポグラフィをはじめとするビジュアルデザインの基礎から、無名の質、Human Inrerface Guidelines の設計思想、OOUI にまで言及がある。本当に、全部入りなのだ。
決して誇張ではなく、この本さえ読めば、UI デザインについてのほとんどのことが分かるようになっている。こんなものが他にあるだろうか。
注釈、注釈、そして注釈
どんな本も、原著が良いと言われることが多く、そのほとんどが英語だったりする。しかし、このオシドリ本に関しては、日本語版が一番クオリティが高いのではないかと私は思っている。原書も他の言語訳も読んだことがないけどさ。
なぜかと言うと、岩波の古典シリーズかよ、と思うくらいとにかく注釈が多いのだ。
オシドリ本の注釈には、原注、訳注、監訳注の 3 種類がある。原注は、原書にある注がそのまま掲載されたものだ。
訳注は通常、翻訳時の補足的な内容になっており、文化的なコンテキストに基づく記述について補われるものだ。たとえば「 魔法のルビーの靴 」という記述があれば「『 オズの魔法使い 』で、主人公の少女ドロシーが履いている靴のこと。 かかとを 3 回鳴らすと、家に帰ることができる。」という注が入る、といったような。
しかしこの本の訳注は、もっと専門的な内容になっている。あくまで翻訳者視点ではあるが、記述内容に対する補足や、根拠、出典が丁寧に明記されている。原作者注が 11 箇所に対して、50 箇所もあるのがその緻密さを物語っているだろう。
そして監訳注にいたっては、ちょっとこの人達おかしいのではないかというレベルになっている。
だって 130 箇所もあるんだもん。
130 箇所だよ??
おかしいよね、って同意を求めたら、そんなの数える人が一番おかしいと言われた。ああそうですねよく言われます。
参考までに同じ O'Reillyの UI デザイン本『 モバイルデザインパターン 』Theresa Neil ( 著 ) の監訳注はというとゼロである。うん、普通そんなのないんですよね。別に注釈が多ければ良い本というわけではないが、比較するとオシドリ本の異常さがよく分かると思う。
130 箇所の監訳注は、記述内容を補足する文献の提示や、問題点の指摘はもちろん、MacOSX からChicago がバンドルされてなくて残念、とか、これは Finder ではかなり前から採用されてた、とか、MacPaint の開発エピソードはこの本が詳しい、みたいなマニアックな情報がこと細かに書かれていて、普通に読むだけで楽しい。
なんかこう...少年サンデーの端っこにかかれてた豆知識みたいなやつ?あるじゃないですか。あれみたいな。あ、知らないですかそうですか。令和なのにまた昭和の話をしてますか私は。
いや重くない
実は 1,198g もあるなんて言ってしまったが、O'Reilly なので電子版が PDF で販売されている。これなら全然重くない。でも PDF では検索性は高いものの、パラパラ見るレファレンスとして少し見づらいところもあり、家用と持ち運び用があるとベストなのではないかと思う。つまり神輿方式だ。
え、べつに持ち運び用とかいりませんか。ちょっとそれは偏愛が過ぎますか。そうですよね。
確かに、私がこの本が好きなのは、そもそもこういうパターン集みたいなものが大好物といういうのもあるのかもしれない。実際、時々意味もなくページを繰ってはニヤニヤしている。
よくあるビジュアルデザイン集とか事例集みたいなものにはそこまで興味がないのに、なぜこの本は好きなのだろう? UI が載ってるからかな?と同僚に話したら「 それは出来上がったもののカタログではなく、作るための道具だからではないですか? 」と言われた。
そうかもしれない。そんな気もする。
この本は私にとって偉大な先人から譲りうけた大切な道具箱なのだろう。
重いというなら抱いて寝ろ
いやはや、それでもやはり 500ページ以上ある本は、初学者には重いのだろうか。
確かに、本というのは読まれるべきタイミングのようなものがあって、あるとき何も感じなかった本に対して、何年後かに感銘を受けたりすることはある。誰かに無理やり開かされるのではなく、本は静かに適合を待っているのかもしれない。
そういえば私も今回、注釈の数を数えていて、その序章の一番最初の監訳注に、私にとってとても重要な記述があることに数年ごしで気がついた ( ※ 3 )。今まで一体何を見ていたのだろうか、という気持ちになったが、これを知って表紙のオシドリが以前よりもっと美しく見えるようになったのだった ( どんな記述かはぜひ自身で確かめてほしい ) 。
そう考えると、別に何も今すぐ読まなくてもいいのかもしれない。ページを開くのが重いと感じるなら、必要になるその時まで、そのままにしておけばいい。とりあえず買って枕元に置いていれば、それはもう半分読んだようなものだ。
もしあなたが UI デザイナーなら、毎日抱いて寝るだけで、きっといい夢が見られるに違いない。
こんな先人の魂の結晶みたいな本はなかなかないのだから。
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書き手:デザイン部 高取 藍
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( ※ 1 )
( ※ 2 )
( ※ 3 )
何のことだかわからないだろうと思いつつも、一応書いておくがイネーブル化の所に書いてるのは知ってた。