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マイクロスリップ

失敗したところでやめてしまうから失敗になる。
成功するところまで続ければ、それは成功になる。

...なんてことがよく言われるように、失敗は成功と対のようで、実はそうでもない。いやいや、これは成功した人による美談で、意識の高い人の幻想にすぎない、と思うかもしれない。

しかし意外と我々は、それを身近に経験している。


小さな淀み

例えば人がコーヒーを飲む様子をイメージする。

カップに手を伸ばし、持ち手を掴んで口元にもっていく。なんてことのない単純な動きが思い浮かぶだろうか。

しかし実際に、コーヒーを飲む行為をつぶさに観察してみると、手を伸ばす途中で少し停滞したり、カップに触れる直前に指の開き具合や手の角度を変えたりと、微妙な速度の変化を伴った複雑な調整を繰り返して、ようやくコーヒーが口に運ばれていることが分かる。

ほとんど無意識の行為であっても、人は周囲の環境を身体で把握しながら、それを知覚し、修正しながら行っているのだ。

このような、行為における小さな淀みを、アメリカの科学哲学者であり生態心理学者でもあるエドワード・S・リードはマイクロスリップと名付けた。

我々はごく日常的に、何かをするたびに日々失敗と修正を繰り返している。


理想的な動線

コーヒーを飲む様子を脳内で再現し、言葉にコーディングすると、マイクロスリップのようなノイズは省略される。すると実際の行為もそのように行われるように思える。行為の脳内イメージは、複雑な動きを単純化してしまう。

だからたとえば UI をデザインするとき、デザイナーは頭で思い描いた、理想的な動線に基づいてそれを作ってしまう。でも実際に人はそんな風に使わないから、うまくいかなかったりする。そしてユーザーが失敗したというデータを元に、失敗しないデザインを苦心して考える。

やりたいことがすべて、そのままボタンになっていて、どれを押せばいいか明確だったら...
用意されたウィザードの中で順に操作し、脇道にそれないようにすれば...

きっと多くの失敗は減らせるだろう。しかし失敗することなく操作できる UI は、ユーザーを手続き、つまりモードというレールの上に載せてしまう。

失敗は少ないかもしれない、けれど失敗は失敗のままだ。

もちろんデータを失ったり、操作自体にストレスを感じるような致命的な失敗は排除すべきだろう。しかし試行錯誤の楽しみまで奪って小さな失敗を防ごうとするのは、少し介入しすぎではないか。

ふだん人と道具の間に発生しているマイクロスリップ。これを無視して UI をデザインするのは、私にはずいぶん乱暴に思える。
動作の中で考え、修正されるこの複雑な動きを、扱いやすく単純化し、ない事にしてもいいのだろうか。

演劇やアニメーションの世界では、マイクロスリップを演技に再現することによって、リアリティを出す演出がされることがある。

たとえば映画『となりのトトロ』でサツキがメイをおんぶする時、一度おぶったあとバランスを整えるため体の位置を修正している。ストーリーに必要な描写ではないかもしれないが、そこにジブリアニメにおける現実らしさが表現されていて、人を惹きつけている。

俳優やアニメーターのように、人の行為についてデザイナーはもっと敏感であるべきだ。


考えながら動き、動きながら考える

人は考えてから理想的な動線で動くのではない。考えることと、その動作は相互に影響し合っている。そんな人間と道具の関係を深く理解し、実現したデザインがある。

iPhone X だ。 Fluid Interfaces と名付けられたその流れるようなインターフェースは、操作フローを強要されない。

Twitter のタイムラインを見ている途中に明日のスケジュールの事を思い出した。指をすべらせて起動済みのカレンダーアプリを探す。間違えた、これはGmailだった。指を滑らせる。メールが目に入る。そういえば母からのメールの返信の途中だということを思い出す。メールを選んで返信を書き、Twitterに戻る。面白い記事がシェアされている。WebView 見づらいからSafari で見よう。面白かった。Twitterに戻ろう。指を滑らせる。カレンダーがちらりと見える。あ、明日のスケジュール...

強化ガラスの上で指を滑らせるとき、その行為で何をしようとしているかまで意識にのぼっていない。そもそも予め考えて操作する必要がない。結果的にそれがやりたかったことでなければ、指の動きを修正すればいいのだ。

Fluid Interfaces は失敗しないデザインではない。分かりやすいデザイン、というものとも違うと思う。それでも失敗の後にやりたいことが達成できたなら、それは失敗ではなく試行錯誤の過程だ。

指の動きに従って、やることが変わることだってある。考えてから動くのではない。人の行為はボタンのオンとオフの切り替えのように行われるものではないから。

私はもうホームボタンの使い方を忘れてしまった。


好奇心とともに

世界のあらゆることは複雑で多様だ。だからコーヒーを飲むという、半ば無意識のうちに行われるものでさえ複雑になる。

しかし人間は、生まれながらに好奇心をもっているから、複雑さの中で失敗を繰り返しながらも道具を使いこなし、自身を拡張していく事ができる。

失敗したところでやめてしまうから失敗になる。
成功するところまで続ければ、それは成功になる。

必要なのは使う人の好奇心、そしてユーザの失敗を失敗ではなく試行錯誤にできるデザインだ。

ユーザーの体験をデザインしよう、なんて思わなくてもいいのかもしれない。それは複雑なものを取り除き単純化して、失敗させないようにしてしまうから。ユーザーの失敗を恐れるあまり、ユーザーの好奇心を信じることができなくなる。

デザイナーはただその好奇心が失せぬように美しく、成功するまで失敗できる道具をデザインすればいい。

そのためには先ず作る側が、失敗を恐れていけない。成功するまで続ければいいのだから。

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参考文献

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書き手:デザイン部 高取 藍

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